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夜間中学生交流の場


遠友(えんゆう)だより


(だい)156(ごう) 2011(ねん)1(がつ)26(にち)


年生(ねんせい) クラス発表(はっぴょう)忘年会(ぼうねんかい)感想(かんそう) 冬休(ふゆやす)みの出来事(できごと)(1)


S.Tさん


(なん)(じゅう)(ねん)ぶりでしょうね。あんなに(たの)しかったのは。(また)来年(らいねん)(たの)しみにしています。


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T.Jさん


(はや)いもので()学期(がっき)()わってしまいました。遠足(えんそく)()った円山公園(まるやまこうえん)、そしてクラス発表(はっぴょう)(かい)など、いろいろと(たの)しい(こと)ばかりでした。

年生(ねんせい)の「おさななじみの(きみ)とぼく」は、とても()かったと(おも)います。

(さん)学期(がっき)勉強(べんきょう)にはげみながら、(たの)しい(おも)()(つく)っていきたいと(おも)います。


* * *


H.Kさん


この(とし)(みな)さんの(まえ)(なに)かする(こと)、とても()ずかしかった。でも、一番(いちばん)簡単(かんたん)(やく)だったのでなんとかできました。

(みな)さん役者(やくしゃ)になりきり素晴(すば)らしかったです。ご馳走(ちそう)沢山(たくさん)あり、(たの)しく満腹(まんぷく)忘年会(ぼうねんかい)ありがとうございました。


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M.Kさん


忘年会(ぼうねんかい)()(もの)は、1年生(ねんせい)一番(いちばん)(わら)いを()りましたね。大変(たいへん)(たの)しかったです。(えん)(ゆう)(じゅく)(おお)くの仲間(なかま)()えた(こと)(うれ)しい。


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M.Tさん


仕事(しごと)(いそが)しく、クラス発表(はっぴょう)忘年会(ぼうねんかい)には参加(さんか)する(こと)ができませんでした。個人(こじん)(てき)にお友達(ともだち)とお食事(しょくじ)(かい)でゆったりとお(はなし)できたことは、有意義(ゆういぎ)時間(じかん)となりました。冬休(ふゆやす)みの期間(きかん)(ちゅう)も、仕事(しごと)()われていました。


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Y.Tさん


冬休(ふゆやす)みは、山登(やまのぼ)(ほか)いろいろ雑用(ざつよう)時間(じかん)(はや)(かん)じ、あっと()()()ぎる日数(にっすう)でした。(さん)学期(がっき)頑張(がんば)ります。



(ねん)国語(こくご) 加藤(かとう)()(いち)(ちょ)「ホシコ」を()んで(1)


K.Nさん


(わたし)が「ホシコ」を()んで(おも)った(こと)は、()どもの(ころ)におじいちゃんに()いた戦争(せんそう)(はなし)です。「戦争(せんそう)(はなし)はそうかんたんにできん」と()っていたけれど、()(もの)がなかった(こと)(ぐん)命令(めいれい)にはさからう(こと)ができなかった(こと)などを(はな)してくれました。

コウもホシコと一緒(いっしょ)生活(せいかつ)したかったと(おも)うし、戦争(せんそう)はいけない(こと)だとわかっていても、どうする(こと)もできなかったのだと(おも)います。

おじいちゃんの(あに)も、戦争(せんそう)()きました。戦地(せんち)から家族(かぞく)にあてた手紙(てがみ)が、(いま)(のこ)っています。自分(じぶん)大変(たいへん)なのに、いつ()ぬかわからないのに、家族(かぞく)()づかっている手紙(てがみ)です。おじいちゃんはもういないけれど、その手紙(てがみ)今度(こんど)(わたし)大切(たいせつ)にして、沢山(たくさん)人々(ひとびと)犠牲(ぎせい)(うえ)(いま)平和(へいわ)がある(こと)(わす)れないようにしたいです。


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K.Tさん


(わたし)一番(いちばん)印象(いんしょう)(のこ)ったのは12(しょう)です。(むかし)は、個人(こじん)自由(じゆう)がないと(おも)いました。「兵隊(へいたい)にとられる」ことや、「テンノウヘイカ」という言葉(ことば)絶対(ぜったい)にさからえないということが()かれていたからです。

コウもホシコは最初(さいしょ)(たの)しそうに()らしていたのに、コウが戦争(せんそう)()くことになって、その()らしは()わりました。やがてホシコにも命令(めいれい)()て、軍馬(ぐんば)として戦地(せんち)へいかなければならなくなりました。コウのいた(うま)部隊(ぶたい)のことが(おお)きく新聞(しんぶん)にのり、(うま)(ちから)注目(ちゅうもく)されました。

戦争(せんそう)()わって人間(にんげん)(かえ)ってきたが、(うま)たちは(かえ)ってこなかった。ホシコもコウも(かえ)ることはなかった。村人(むらびと)たちは、いつまでもホシコとコウのことを、(わす)れることはなかった。

いまでも戦争(せんそう)をしている(くに)があるが、どうして(ひと)(たたか)うのか(かんが)えてしまいます。


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S.Mさん


ある(むら)(ほし)をもつ()(うま)()まれてきました。(むら)(ひと)がいうように、(ほし)をもつ(うま)(しあわ)せをもってくるという。「(うつく)しい」「めんこい」村中(むらじゅう)(ひと)(よろこ)び、その(なか)にコウという少年(しょうねん)がいました。(ほし)(かたち)のある()(うま)()て、コウは「ホシコ」と名前(なまえ)をつけました。学校(がっこう)仕事(しごと)()わりに、自分(じぶん)(うま)でもないのに、毎日(まいにち)ホシコに()いにいき、(こころ)(なか)でたくさんの(はなし)をし、かわいがり、大切(たいせつ)にし、(かわ)野原(のはら)でたくさん(あそ)び、(はたら)きました。

(すう)(ねん)がたち、コウが兵隊(へいたい)にとられる。そのころからコウの父親(ちちおや)は、毎日(まいにち)深酒(ふかざけ)をするようになりました。それは戦争(せんそう)のおそろしさを()っているので、不安(ふあん)と、さみしさで、やりきれない気持(きも)ちのあらわれなのです。かしこいホシコは、そんな父親(ちちおや)気持(きも)ちが(いた)いほどわかりました。

コウの出征(しゅっせい)()、ホシコが(くち)をきけたならば「コウ、『中国(ちゅうごく)大陸(たいりく)』そんなに(とお)いところにいかないで」とさけんでいたでしょう。その(いち)(ねん)()に、ホシコも中国(ちゅうごく)大陸(たいりく)無理(むり)やりにつれていかれました。

戦争(せんそう)()わりました。(むら)(ひと)たちは「ホシコがコウをさがしに()った」「コウをつれて(かえ)るつもり」と、このように(ねが)っていました。でも、ホシコもコウも(かえ)ってくることはできませんでした。

(とお)くて(たか)(そら)(うえ)で、ホシコがコウを背中(せなか)にのせ、(たの)しそうに(はし)っていますように。


* * *


K.Mさん


ある(むら)でとびっきり(うつく)しい()っこ(うま)()まれました。その(うま)は、ひたいに(しろ)(ほし)(かたち)()った(うま)(むら)(ひと)見物(けんぶつ)(あつ)まってきた。でも()っこ(うま)はすっと()げて(おや)(うま)のかげにかくれる。

この()っこ(うま)(ひと)(はな)言葉(ことば)もわかり、仕事(しごと)のやり(かた)もわかっている。「(かしこ)利口(りこう)空気(くうき)もよめて、忍耐(にんたい)(りょく)()っている」(うま)名馬(めいば)であったけれど名馬(めいば)であるがゆえに、命令(めいれい)戦争(せんそう)にとられ、()くなった。

(いま)背中(せなか)青年(せいねん)()せて、故郷(こきょう)(そら)(はし)っているだろう。





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